過熱とは、こんなものではない。野村、’80年代後半の石川島播磨重工業・・

浜口です。ちょっと’80年代後半の思い出話を。

日経のマーケットニュースに「歴史的株高を聞く」と言う記事があり、過熱、こんなものではない と、いちよし証券会長 武樋政司さんがコメントされてましたね。今、74歳なんだ・・参考になると思うんでお読みいただければと思うんですが、その中で特にシビれたところを。

―バブル期と比べ(日本株の)市場の雰囲気は違いますか?
―「当時は熱狂的相場で異常だった。不動産は必ず値上がりするという『土地神話』も信仰され、バブルに浮かれていた。それに比べると今の相場上昇はまっとうすぎて、逆に盛り上がりに欠ける。過熱とは、こんなものではない

なるほど・・こりゃ、発言に恐ろしく説得力があるな。当方はそう感じましたね。これは当時の相場を知っている人には、すぐにピンと来る話だろな。

この方は80年代後半、当方が日本株のファンドマネージャーをやっていた頃、業界で圧倒的にN0.1の、野村證券の株式部長だった。確かこの頃、野村はトヨタを抜いて。経常利益で日本企業のトップになっていたよな。

昭和の時代の証券会社といえば、株式部長といえば最高の花形というかカリスマ。相場を作っていた。当時の野村はいわゆるウオーター・フロント関連銘柄を手掛けまくっていて、その中心銘柄が豊洲工場の含み益をハヤして大相場になった、7013のIHI、当時でいえば石川島播磨重工業ですね。そしてこの方は、当時の野村ど真ん中銘柄、石川島の大相場の旗振り役をカリッカリにやっていた。

とにかく当時の野村は、寝ても覚めても、石川島、石川島、石川島!!機関投資家にハメ込みまくり。う~む。野村の株式部長、ホント、物凄い存在感だったよな・・・と、これは良い意味ですよ。あの頃が懐かしいな・・

当方が所属していた銀行でも、石川島は頻繁に売買されていた。記憶が定かでないが、上席のファンドマネージャーが。ワンショットで800円前後の石川島を500万株、ということは売買代金で40億円か。そんなディーリング売買を重ねていたな。まあ・・凄い時代だったよな。でこれは、証券の売買手数料が自由化される前。これじゃあ・・証券会社が儲かりまくるわけだよな。

今、築地市場の移転で話題になっている東京の豊洲。このあたりは、30年前はウオーター・フロント関連銘柄の「聖地」として、注目されまくっていた。銘柄としては、件の石川島を筆頭に、東京電力、東京ガス、三菱製鋼あたり。現在問題になっている豊洲市場の土地は、東京ガスが持っていた土地ですよね。

30年経った今、豊洲が違う形で注目されているのは、なんだか不思議な気持ちになるな。まあ・・確かに開発は進んだ。その点では野村の着眼点は的を射ていた。しかし石川島の株価は、89年末。バブル天井の時、やはり天井を打ってしまったが・・

取り留めがなくなりましたね。この辺で。

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