浜口です。相場の歴史の話を。来年には「改元」があるが、それに関連した話を。
会社四季報オンラインに、興味深い記事があった。「改元」その時相場はこう動いたと。 1989年。昭和の時代が終わったときの話ですね。バブル崩壊の一月前に改元があったんだな。
このときの事はよ〜く覚えてる。日本株、日経平均ばかりが上がる一方で、個別銘柄はあまり上がらない。一部のグレードの低い低位株や、二番手の建設株が高値を取りに行っていた。野村証券がらみの東急も新高値を取っていたと思う。
1989年は公定歩合が2回上がっている。検索してみたら、牛さん熊さんブログに、こんな記載がありました。的を射た内容。当時のことが良くまとまっている。貼り付けさしていただきますね。
「三重野日銀総裁当時の日銀の金融政策」
三重野元日銀総裁は1989年12月に第26代日本銀行総裁に就任したが、まさにこの1989年末の大納会に、日経平均株価は史上最高値の3万8915円を付けていたのである。このあと1994年12月の任期満了となるまで、バブル崩壊による対応に追われることになる。
1989年5月に日銀は公定歩合を3.25%に、10月には3.75%に引き上げたことで、完全に金融引締め政策に転じていた。この日銀による公定歩合の度重なる引き上げを受け、債券相場は1989年にはすでに伸び悩みの状態となっていたが、1990年に入ると債券に加え、株式や円のトリプル安でのスタートとなった。
1990年3月20日に日銀は第四次の公定歩合引き上げを実施し、これは1.0%という大幅引き上げとなり、公定歩合は年率5.25%にまで引き上げられた。その後、株式は一時的に戻したものの、原油価格の急騰などからインフレ懸念が一段と高まり再び下落した。この原油価格の高騰の原因となったのは、8月2日のイラク軍によるクウェート侵攻である。株の下落にもかかわらず、物価上昇を気にしてか、日銀は8月30日に公定歩合を0.5%引き上げて年6.0%とするという第五次公定歩合の引き上げを実施。これを受けて債券先物は急落し、9月27日には債券先物市場開設以来の安値となる87円8銭まで下落し、長期金利も8%台に上昇、株価も大きく下落し、10月1日に日経平均は2万円を割り込んだのである。(引用終わり)
株式市場が、改元のハッピーな相場をenjoyしたのは1ヵ月だけ。それ以降はバブル崩壊につながったんですよね。
この頃は我々も。「日本株の相場はもうもたない。 1990年年明けから、鉋をかけるように、日本株のポジションをはずしていこう。」会社、さる信託銀行ですが。会議でそんな決定をして、年明けを迎えたが。時既に遅しだった。そんな苦い経験を思い出します。
そういえば・・・大正から昭和になった時。しばらくして昭和恐慌が起こったんだよな。
とりとめがなくなりましたね。この辺で。
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