益田駅の気動車

浜口です。島根県・益田の続き。

島根県の益田駅にて。左側は山陰本線益田止まりの特急スーパーまつかぜ、右側は山口線の普通列車新山口行きです。ともに電化がされてない線なので架線が存在せず、青空がきれい。

100516_1158

鳥取と益田を結ぶ特急スーパーまつかぜ。編成は、指定席と自由席のわずか2両!由緒正しき優等列車なのに、それはそれは淋しい編成です。

このことを浜田駅の売店のおばさんに話したら、曰く「今の若者は、みんな広島に行ってしまう。なんでも揃うから」と。当方てっきり、浜田・益田の人たちは、松江を目指すものとばかり思っていたが・・・・実際駅前のバス停でみると、広島と浜田を結ぶバス便は1日16往復もある。所要時間は2時間と結構短い。確かに地図を見ると、中国地方は山陰と山陽の距離がそれほど遠くないんですね。

今回つくづく感じたこと。これはこれまでの国策からなんでしょうが、日本の経済・ひいては鉄道整備は、太平洋側中心であること。人口の多い都市の多くは太平洋側・瀬戸内海側だし、西から鉄路で東京・大阪を目指すのであれば、「いったん瀬戸内海側に来てから新幹線でどうぞ」という構造になっていること。そして広島という都市の存在感が、関東人にはわからないほど大きい。

逆に言えば、だからこそ山陰地方は、きれいな日本海、懐かしく感じられる良い意味での昭和の田舎の風景が残っているようにも思える。

島根県の益田へ

浜口です。最近は遠方への出張が結構多い。今回は島根県の益田に行ってきました。遠かった!今回は時間に余裕があったので、鉄路経由で。

出発日の夕方、同僚と飲みに。少々酔いが回った後、そのまま東京発寝台特急「サンライズ出雲」で出雲市へ。その後出雲市駅前温泉で朝湯をいただき、山陰本線の気動車特急「スーパーおき3号」新山口行き(なんと2両編成!)でさらに西に向かう。益田までの所要時間、のべ15時間22分!

ついた先の益田は、街行く人の数が少なかったな。これだとやはり、特急も2両編成が妥当なんでしょうか。魚はおいしかったが。

さて寂しさを感じた下関で自民党のポスターを紹介しましたが、似たものが益田にもありましたのでまたまた紹介を。構成が似てますね。まあ、同じ自民党だから当たり前か。

100516_1259

ちなみに竹下亘氏は竹下登元首相の異母弟、青木幹雄前参院議員会長氏はかつて竹下登氏の秘書ということだから、つながりは明確ですね。

実はこのポスターを見た前日に、青木幹雄氏は引退表明を。その記事が地元紙の一面を飾っていました。なんともいえないタイミングでしたね。

しかし国内でも最も閑散としている空港のひとつ、萩・石見空港を誘致した政治家は誰なんだろうな? 竹下氏は出雲市に近い雲南、青木氏は出雲大社のそばの出身と言うから、この二人は関係ないようにも思えるが。

それにしても山陰本線はいまだに、多くが電化されていない。ゆえにテツの立場からは「気動車王国」といえますね。素晴らしい。このあたりのこともそのうちに。

下関・門司に出張②寂しさを感じた下関だが・・

浜口です。下関・門司に出張①門司港ホテルの続きを。

下関に行ってきました。おとなりの門司とは少し違う印象だった。寂しさを感じた。

まずはテツの話。下関駅の列車の行き先掲示板。驚いた!特別急行・急行の掲示板の電気が消えている!。そう、現在の下関は、特急・急行が全く停車しないんですね。鈍行と、あとは「みすず潮彩」という山陰本線の快速のみが発着するだけ(但しこの快速は非常に魅力がある。ぜひ乗ってみたいものだが)。

100421_1640

さらに残念なことに・・・・写真では右端で切れている、山陽本線の上り掲示板。当然、「東京・大阪方面」と書いてあって然るべきなんだろうが・・・・現在は「新山口・厚狭方面」となってるんですね。要は東京・大阪まで直通する列車がないわけですね。今はね。

下関は、本州西端の玄関口。かつて、九州行きのブルトレはすべて停車していた。東京行きの上りのブルトレ客はみな、下関か門司で駅弁を仕入れていたものです。「ふく弁当」とかね。あとブルトレでは、「あさかぜ」は一部下関始発のものもあったはず。もちろん、急行も様々に発着していた。それが今では・・・

街全体も、概して寂れている。人がまばら。百貨店では大丸下関があるが・・ここも人はまばら。下関は日銀の支店もある中核都市なのにな。このあたりに住んでいる人は、仕事も買い物の、関門海峡を越えて小倉を目指していることが多いようですね。

かつて日清戦争においては、下関の春帆楼で講和会議が行われた。あと、マルハの本社もかつては下関だし、捕鯨が盛んな時期はとてもにぎわっていたらしい。さらには大洋ホエールズ。その後の横浜ベイスターズですが、もともとはマルハがオーナー、大洋ホエールズの本拠地として1952年まで、下関市営球場使用されていたそうです。

そんな中、自民党の講演会ポスターが目に留まりました。お二人は実のご兄弟なんだそうですね。

「景気に全力!!」たしかにその通りなんでしょうが・・・方法論がね。安倍ちゃん、まだ若いし。もう一度総理大臣、目指せないものだろうか。

100421_1248

読書は効率のよい投資である

浜口です。昨日のNYは急落、米検察がゴールドマン捜査開始とのことですが・・・・

さてGWを読書で過ごそうという方も多いんじゃないでしょうか?少し前になりますが、4月9日の日経新聞広告内にあった、本田直之氏(レバレッジ・コンサルティング代表取締役)の「私の読書術」 ~読書は効率のよい投資である~という記事がなかなか良かった。参考になればと。以下、要旨を引用・列記します。

続きを読む…

下関・門司に出張①門司港ホテル

浜口です。2010年に下関に出張、その後関門海峡を船で門司に渡り、門司港ホテルに行ってきました。これがとてもよかったな。

P1000259

楽天トラベルのHPでは、門司港ホテルは次のように紹介されている。「古来より軍事・交通・交易の拠点であり、また同時に、 海と陸、東と西のように、二つのものの境界となってきた門司港。そして今もなお、明治や大正時代のロマン漂う雰囲気が残る街。 門司港ホテルは、門司港という地において、海と陸、 レトロとモダン、そして(中略)門司港の歴史的価値を創造していくホテル」。まあ、」そのとおりなんだろな。

このホテル、ジャンルとしてはデザイナーズホテルもしくはリゾートホテルに位置付けられるのかもしれないが。なかなかに格調高い、素晴らしいホテルだった。おススメですね。

ホテルのあらゆるところが、実にロマンチックなつくり。女性が喜びそう。周辺は門司港レトロと呼ばれる、要は横浜の港町を「箱庭化」したような場所。というより、小樽の港町を凝縮したというほうが正しいかもしれない。

ホテルの隣のレトロ風な大阪商船(現商船三井)ビルでは、某女性雑誌(婚活雑誌?)が美男美女カップルの撮影をやっていた。門司港レトロを散策しつつ、とても快適な滞在が可能なホテル。朝食はふぐの一夜干し・ふぐのから揚げ・明太子など、ご当地メニューがバイキングで味わえる。普段泊まるビジネスホテルの類、ここと比べるとどれだけ味気ないものか・・・つくづくそうと思えてくるな。

下関―門司間は、関門汽船で10分ぐらい。定員30名ぐらいの小さい船だが、乗客は一桁だったな。当方は関門海峡を2日間で2往復したが、船の海峡越えは、景色も気分も最高だったな。

門司はかつて、明治から昭和初期にかけ栄華を誇った街とのこと。明治二十五年に石炭の特別輸出港に指定され、貿易港としての地位を確立。その後、日清戦争、日露戦争の勃発と共にますます栄え、第一次世界大戦には大戦景気にわいた。このころ日本三大港(神戸、横浜、門司)の一つとして数えられ、重要な国際貿易の拠点となっていた。大商社や銀行が先を争って門司に支店を出そうとし、地価が暴騰したのもこの頃であった・・・・とのこと。

帰りは博多から福岡空港経由で東京に帰ったが、途中、鹿児島本線の車窓から。小倉の先で、住金、三菱化学の巨大な工場が見えた。新日鉄の八幡製鉄所もこのあたりなんだろうが、これは車窓からはほんの一部しか見えなかったな。

このあたり、戦後の日本経済、産業の中心とも言える。北九州経済の変遷が見て取れた・・・・こんな旅も面白いもの。あらためて今度、再訪したいな。このあたり、降り立って見てみたい。戦後昭和の時代の日本経済の復興、実感できそうだから。そんな気持ちにさせてもらいましたね。

渡辺淳一「幸せ上手」とダーウィン

渡辺淳一の新著「幸せ上手」を読みました。「幸せとは何か」「如何に幸せをつかんでいくか」に加え、氏の独壇場である(?)女性論、男性と女性の思考・感性の違いも踏み込んで説明している。
この本はあっという間に読み終わった。なかなか良かった。お勧めです。ちなみに「鈍感力」も読みました。こちらも面白かった。

続きを読む…

成長している上海の象徴、浦東(プードン)地区

浜口です。3泊4日上海視察の印象を。

上海の繁華街は、エネルギッシュで相当ぶっ飛んでいるという点で、香港に似ている。その中で特に成長している上海の象徴である浦東(プードン)地区のぶっ飛び方は想像以上、常軌を逸している。以下はgoogleで検索した浦東の写真です。

shanhaishasin5ac768bf.jpg

続きを読む…

上海に行ってきます。

浜口です。

高校の同級生で、以来これまで交友関係を続けている友人がいる。調味料からスタートし、現在は東証一部大手総合食品メーカーA社(と言えば大体わかりますね)の上海地域部門で、総経理(要は社長)をやっている。今回彼を尋ねて、3泊4日で単身上海に行ってきます。中国経済の取材・・・というより、まあ旅行ですね。

氏は北京、成都、上海と中国赴任がとても長く、例えば万里の長城などは会社がらみのアテンド対応もあり、何十回も飽きるほど行っているらしい。このたびの当方の訪中を熱烈歓迎してくれ、多忙な中飲食を共にし、上海を紹介してくれるとのこと。さあ、何が待っているか??

日本で一番愛された男

浜口です。鹿児島に行ってきました。ここのヒーローといえば・・・・やはり西郷隆盛なんですね。

鹿児島空港から鹿児島市街地に行く途中、大久保利通の立派な銅像がある。これが相当格好いいんですね。明治維新の時代、いわゆる西南戦争では、西郷隆盛は賊軍の扱い。一方で大久保利通は、維新の功労者で、その後も政府の中心的存在だった。だから鹿児島でも市電が走るメインストリートには、官軍扱いの大久保利通が君臨している。ずっと昔からそう思ってた。これが鹿児島の人たちの現実感・メンタリティだと、ずっと思ってた。

続きを読む…

高知と坂本龍馬

浜口です。この前高知に出張して来ました。結構インパクトがありましたよ。

まず街全体がとにかく、どこに行っても「超々坂本龍馬状態」なんですね。超英雄扱い。高知龍馬空港はもちろん、居酒屋龍馬屋、龍馬ラーメン・・・・・とにかくありとあらゆるものに「龍馬」がついてる。葬祭会館龍馬なんてのもあったな。今回の出張は某銀行での講演だったんですが、先方に対し「銀行名を『龍馬銀行』に変えたほうが良いのでは?」との冗談が喉からでかかりましたが、それは言わずにおきました。この英雄に乗っかった商売があまりに多い状況は、少し気になったな。

P1000209
写真は桂浜(ソフトバンクのCMで、「犬のお父さん」が高知へ来て訪ねる海岸)にある坂本龍馬の銅像なんですが、NHK龍馬伝の影響もあってか、旅行者も結構多かったですね。

坂本龍馬がやった主なことといえば、薩長連合の仲立ち、亀山社中の設立、船中八策など大政奉還・維新の推進といったあたりか。足元ではNHK龍馬伝の影響もあり、「龍馬株」は既に相当高いバリュエーションに評価されているイメージを持ってます。「龍馬バブル」と言ったらものすごく非難されそうだが、まあそんな印象。当方、「人気化してる」というとすぐに興味を失うタチ。1年もすればきっと、Bookoffあたりに坂本龍馬関係の本がどっと出そう。そうしたら読んでみようかな・・・というヒネクレものです。

それにひきかえ、同じ土佐出身の板垣退助の扱いは非常に小さいな。自由民権記念館はあったが。

あと朝方、犬と散歩している人を4人ほどみかけたときに驚いた。来る人みんな、前述のソフトバンクの「お父さん」のような白い犬を連れている。なんでなんだろ? 「お父さん」は、土佐犬とは違いますよね?これは最後までわからなかったな。高知では、飼い犬は白い犬に限るとする風習でもあるのかな?

本件、誰か、教えてくれないかな?